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My little Lecce

南イタリア プーリア州 レッチェからサレント地方の美しさをお伝えします

エニャーツィア国立考古学遺跡公園 その2

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南イタリア プーリア州 レッチェからブゥオンジョルノ!
前回に続きまして エニャーツイア国立考古学遺跡公園からレポートです。

前回ご紹介いたしましたネクローポリ(共同墓地遺跡)地区から100メートルほど離れた地区にエニャーツイァの街の遺跡が残っています。

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↑ こちらが エニャーツィアの街の遺跡ゾーンの入り口です。
右側に見えるのが、街を包囲するかたちではりめぐらされていた城壁の一部。
当時はこの城壁がぐるりとエニャーツイァの街を包囲していました。

一番最初の冒頭の写真はエニャーツィアの街を貫く、トライヤヌス帝の命令によってつくられた
Via Traiano


ローマ帝国時代の重要な幹線道路がこんなにもしっかりと残っている姿に感銘を受けます。

この Via Traiano は当時もっとも重要だったローマとブリンディジ港を結ぶ幹線道路
アッピア街道の交通量の激増を緩和するため、その代替の道路として建設された第二の支線街道にあたります。
このトライアヌス街道もローマとアドリア海側の重要な都市や港を結ぶ重要幹線道路としてとても重要な役割を果たしました。

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ご覧ください! ↑ こちらはエニャーツイァの街の市場の跡。
しっかりと残っていますねぇ。

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二千年以上前のエニャーツイァの街の人々の生活を支えた市場がここにあったのです。

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エニャーツィアの住民が集ったであろう聖堂跡↑ 聖堂の壁がかろうじて残っています。


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いまもしっかりと轍が見てとれる道路も発掘され、
このように間近に見学することができます。


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こちらはテルマエ(温泉)のあったゾーン。

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温泉の遺跡跡。温泉大好きなローマ人たちが通った温泉です。


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温泉はこのような構造をしていたのだそう。

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壁の内部に内蔵されていた温水を運ぶチューブ状の管がたくさんみえます。


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温泉ゾーンの奥に続くエニャーツィアの街の遺跡。
比較的最近発見されたゾーンです。

発掘はまだまだ続いています。


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遺跡のまわりにに続くまだ発掘が行われていない広大な野原、この野原の下にも間違いなく
エニャーツィアの街がまだまだ埋まっているのです。


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再びエニャーツイァの街を貫くトライヤヌス街道の写真。
エニャーツィアの遺跡の目玉はやはりこれですね。

ローマ帝国の物流と軍事活動を支えた偉大な街道が当時のままの姿でこんなふうに見学できるのは
感動ものです。


重要幹線道路と港を有したエニャーツィアの街、
惜しくもこの街は、海に面したその立地が災いし、海からの異民族の侵攻を免れることはできず、
衰退していきました。

けれど、この2千年以上昔の古代遺跡が この街がいかに繁栄を極めたのかをいまだに見学者に物語ってくれます。


エニャーツィアの古代遺跡でまたもイタリアの底力を見た気がしました!

エニャーツィア特集は今回で終了!

次回もプーリアからのレポート、お楽しみに!


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Commented by capisco62 at 2022-06-23 12:37
イタリアのお湯に浸かる文化は何故なくなってしまったのかなあ?残念です。
Commented by mylittlelecce at 2022-06-23 21:49
> capisco62さん
たしかに今のイタリアでは浴槽のないお家もたくさんありますから、お湯につかる文化はなくなってしまいましたね。ローマ時代はどこの街にも必ず一つは公衆浴場があったと言われていますから、相当普及していたのでしょうに、消えてしまいましたこの慣習。なぜなんでしょう、私も疑問に思います。ちょっと調べてみようと思います!
by mylittlelecce | 2022-06-23 07:30 | プーリアの美しい街 | Comments(2)

by mylittlelecce
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